── たどり着いた一枚の「枝図」
AIに任せられる仕事が、目に見えて増えています。調べ物も、文章の下書きも、ちょっとした分析も。会計事務所を営む私自身、日々の業務でAIを使い込むほど、その実感は強くなるばかりです。
そうなると、避けて通れない問いが出てきます。AIが業務を効率化し切った先に、人間は何をするのか。私はここ最近、この問いをずっと考えています。本稿は、その思考の途中経過 ── たどり着いた一枚の「枝図」の話です。
■「人間にしかできないこと」論への違和感
AIの進化が話題になるたび、「それでも創造性は人間のものだ」「共感は機械には無理だ」という声が上がります。気持ちは分かりますし、半分は正しいと思います。でも、この種の議論には落とし穴があります。
「人間にしかできないこと」として挙げられてきたものは、年を追うごとに侵食されてきました。翻訳、要約、図表作成、定型的な文章 ── ほんの数年前は「人の領分」だったはずです。つまり、いまのAIにできないことを根拠に人間の役割を語ると、その足場は技術の進歩とともに崩れていく。能力の高さで線を引くかぎり、私たちは後退戦を強いられます。
だから、出発点を変える必要がありました。「AIにできないこと」ではなく、「AIには構造的に持てないもの」から考える。
■出発点を「有限性」に置く
AIと人間を本当に分けるものは何か。私がたどり着いた答えは「有限性」です。
AIには終わりがありません。疲れず、老いず、何度でもやり直せる。失敗しても痛くなく、時間に追われることもありません。人間は逆です。時間は有限で、二度と戻らない。ひとつを選べば、別の道は捨てることになる。
有限であることは、一見すると弱さに見えます。しかし私は、ここにこそ人間の価値の源泉があると考えています。希少なものにしか、私たちは「かけがえのなさ」を感じないからです。この「有限性」を根に置くと、枝が分かれていきます。
■最初の分かれ道 ── 過程そのものに意味があるか
最初の問いは「その仕事の”過程”そのものに意味があるか」です。ここで仕事は2つの枝に分かれます。
過程に意味がなく、結果さえあればよい仕事 ── これを「枝A:ホワイトカラー的な仕事」と呼びます。調査や分析や資料作成は、過程をAIが肩代わりできます。
過程そのものに時間をかける意味がある仕事 ── これが「枝B:ブルーカラー的な仕事」。スポーツの稽古や介護のように、時間をかけること自体に意味が宿る仕事です。
■枝A ── 時系列で見るホワイトカラー
枝Aは、時系列の流れで捉えると分かりやすくなります。まず人が「方向を定める(Director)」。次に「過程(調査・分析・資料作成)」があり、ここがAIに取られる。そして最後に「責任を取る(Accountable)」と「創作の最終ツメ(Create)」が来る。
つまりホワイトカラーの仕事は、真ん中の”過程”をAIに明け渡し、残るのは入口の方向づけと、出口の責任・最終判断という、薄い両端だけになります。
■枝B ── 2軸で見るブルーカラー
枝Bは「その時間を誰が使うか」「時間に価値があるか」の2軸で、4つに分かれます。
自分が時間を使い、その時間に価値があるもの ── スポーツや芸能の稽古です。これを「プレイ(Play)」と呼びます。自分が10時間練習することそのものに意味があり、誰も代われません。
他人が時間を使い、その時間に価値があるもの ── 介護や看護です。誰かが自分のために時間を使い、共にいてくれたこと自体が価値になる。これが「ケア(Care)」。
一方、時間に価値がなく、結果だけが目的のもの ── 移動のための運転や配送のような「用務作業」は、ロボティクスに移っていきます。
■取られる側には、2人いる
ここで大事なのは、仕事を取っていく側が「2人」いる、ということです。知的な成果物(枝Aの過程)はAIが、物理的な用務作業(枝Bの価値なし領域)はロボティクスが担う。両者が挟み撃ちにしてくる。
残るのは、Director・Accountable・Create・Play・Care。有限な人間が「そこに居て、時間を生き、結果を引き受けたこと」自体に価値が宿る部分です。逆に言えば、結果さえあればよいものは、すべて機械に流れていきます。
■最後に気づいた「伴走」
枝図を描き終えて、もう一つ気づいたことがあります。この図は「AIが成熟し切った後」の地図にすぎない、ということです。そこへ至る移行のあいだに、抜け落ちているものがある。
過程がAIに取られるには、まず誰かがその過程をAI化しないといけない。そして人は、取られた後に残る機能へ移り直さないといけない。AIをうまく使いこなせず、移行に乗り遅れる人は、必ず一定数出てきます。
その人たちに寄り添い、一緒に走ること ── 私はこれを「伴走」と呼んでいます。マラソンのペースランナーのように、横について一緒に走る仕事です。AIがどれだけ進んでも、いや、進むほどに、この伴走のニーズはむしろ高まる。これも、人に残る大切な仕事のひとつだと思います。
そして、プレイ(遊び・練習)とケア(寄り添い)。効率化の論理が通じないこの2つは、これから経済の周辺から中心へと移り、新しく価値が集まる場所になっていく ── 私はそんな予感を持っています。
■おわりに
「人間にしかできないこと」のリストは、これからも侵食されていくでしょう。本稿の枝図も、暫定的な見取り図にすぎません。
それでも、有限性という根は揺るがない。終わりがあるからこそ、私たちは方向を定め、責任を引き受け、創り、遊び、ケアする。その一つひとつに、二度とない時間を懸けている。
AIが業務を効率化し切った先で、人間は何をするのか ── その答えは、案外シンプルなのかもしれません。

