感想: 怪獣映画の醍醐味であるダイナミックな描写において、本作は圧倒的だ。 日本的な情緒や会議劇を重んじた『シン・ゴジラ』と比較すると、アクション映画としての純粋なエンタメ強度において、ハリウッドとの歴然とした差を感じざるを得ない。

評価は高めの4.0としたが、満点(4.5以上)に至らなかった理由は明確だ。

「心を打つ感動」がそこになかったからだ。 ここでふと、自らの評価基準に対する迷いが生じた。 そもそも、こうした怪獣アクション映画に「感動」を求めること自体が間違っているのではないか? 「アクションとしての快感」と「ドラマとしての感動」。この二つを同じモノサシで測るのではなく、評価体系そのものを少し整備(アップデート)する必要があるのかもしれない。これは今後の私の課題としたい。

 

AIへの賛美:120%のクオリティを生む「暗黙知」

一連のゴジラシリーズを鑑賞しながら、AIによる制作の未来をシミュレーションしてみた。 過去の膨大な怪獣映画をAIに学習させれば、それらしい続編や新作のプロットを生成することは、もはや容易になるだろう。

しかし、そこには決定的な壁がある。 AIが作れるのは過去の統計に基づいた「平均点の高い作品」までだ。 そこからさらに踏み込み、観客の期待を超える「120%の調整」を行うには、過去作に携わった人間だけが知る「背景」や「現場の熱量」といったインサイト(暗黙知)が不可欠になる。
結局のところ、AI時代に真に価値を持つのは、データ化されない「暗黙知」を言語化し、残していく作業だ。 そして、AIが出してきたアウトプットに対し、その行間にある文脈(インサイト)を正しく読み取り、ディレクションできる「その道のプロ」の存在。 それこそが、テクノロジーがどれだけ進化しても消えることのない、人間の最後の聖域なのかもしれない。