AIが事務作業を肩代わりし、調べ物も文章作成も、ちょっとした分析までも任せられるようになりました。多くの会社で、これまで人がやっていた仕事が静かに減り始めています。私自身、会計事務所の日々の業務でAIを使い込むほど、その実感は強くなるばかりです。

 

そうなると、ひとつの問いが避けられなくなります。AIが業務を効率化し切った先に、人間は何をするのか。本稿は、この問いに私なりの見取り図を示すものです。結論を先に申し上げれば、人間に残る仕事は「方向を定める」「責任を取る」「創る・遊ぶ」「ケアする」の4つに収れんします。そして、その4つがなぜ残るのかには、はっきりした理由があります。

 

■「人間にしかできないこと」論の落とし穴

AIの進化が話題になるたびに、「それでも創造性は人間のものだ」「共感や対話は機械には無理だ」といった声が上がります。気持ちはよく分かりますし、半分は正しいと思います。ただ、この種の議論には落とし穴があります。

「人間にしかできないこと」として挙げられてきたリストは、年を追うごとに少しずつ侵食されてきました。かつては翻訳がそうでした。要約も、図表の作成も、定型的な文章を書くことも、つい数年前までは「人の領分」とされていたはずです。今はどうでしょうか。多くがAIに置き換わり、しかも品質は実用水準を超えています。

 

つまり、「いまのAIにはできないこと」を根拠に人間の役割を語ると、その根拠は技術の進歩とともに足元から崩れていきます。能力の高さで人間とAIの線引きをするかぎり、私たちは少しずつ後退戦を強いられる。これが第一の落とし穴です。

 

ですから、出発点を変える必要があります。「AIにできないこと」ではなく、「AIには構造的に持てないもの」から考える。能力の問題ではなく、存在のあり方の問題として捉え直すのです。

 

■出発点を「能力」から「有限性」へ

では、AIと人間を本当に分けるものは何でしょうか。私は「有限性」だと考えています。

AIには、終わりがありません。疲れず、老いず、何度でもやり直せます。失敗しても痛くありませんし、時間に追われることもありません。体を持たず、その場に居合わせることもありません。言い換えれば、AIは「失うもの」を持たない存在です。

人間はその正反対です。私たちの時間は有限で、二度と戻りません。体はひとつしかなく、同時に二つの場所には居られません。選択にはコストがあり、ひとつを選べば別の道は捨てることになります。そして、いつか終わりが来る。

一見すると、有限であることは弱さに見えます。しかし私は、ここにこそ人間の価値の源泉があると考えています。価値とは、希少なものに宿るからです。無限に手に入るもの、いくらでもやり直せるもの、誰がやっても同じもの——そこに私たちは「かけがえのなさ」を感じません。有限だからこそ、その時間が、その選択が、その関わりが、重みを持つのです。

この「有限性」を出発点に置くと、人間に残る仕事が、すっきりと見えてきます。

 

■有限性は、2つの枝に分かれる

有限であるということを、もう少し噛みくだくと、2つの異なる性質に枝分かれします。

ひとつめは、「リセットできない」ということです。やり直しがきかない。やってしまったことは取り消せず、選ばなかった道はもう選べません。だからこそ、人間は自分の選択や行為を「自分ごと」として引き受けるしかありません。

この「自分ごととして引き受ける」感覚を、本稿では当事者性と呼びます。当事者であるとは、結果が自分に返ってくる状態のことです。うまくいけば自分が報われ、失敗すれば自分が痛い。損も得も、評価も非難も、自分の身に降りかかる。だからこそ、その選択には覚悟が伴います。AIには当事者性がありません。間違えても痛くなく、何も失わないからです。やり直しのきかない有限な存在だけが、当事者になれるのです。

ふたつめは、「時間が有限」だということです。一日は24時間しかなく、人生にも限りがあります。だからこそ、時間をかけ、体を使うことでしか実現できないものが、人間には残されています。その場に居合わせること、手間ひまをかけること、長い時間をともに過ごすこと——これらは「効率化」とは正反対の営みであり、AIには原理的に肩代わりできません。AIは時間を持たず、体を持たないからです。

整理すると、こうなります。人間とAIを分けるのは「有限性」。その有限性が、「リセットできない(=当事者性)」と「時間が有限(=身体と時間)」という2つの枝に分かれる。そして、それぞれの枝から、人間に残る仕事が2つずつ、合わせて4つ立ち上がってきます。

 

■考察その1 ── 方向を定める

ひとつめは、「方向を定める」ことです。

AIは、問いを与えれば見事な答えを返します。しかし、「そもそもどの問いを立てるべきか」「私たちはどこへ向かうべきか」は、決してAIの側からは出てきません。AIは与えられた目的を最適化する道具であって、目的そのものを生み出す存在ではないからです。

ここで、ひとつ言葉を選んでおきたいと思います。私はあえて「意志」という言葉を使いません。なぜなら、意志の「表明」であれば、AIにも作れてしまうからです。「こういう状況なら、人間はこう判断するだろう」という意思決定の文面を、AIは流ちょうに書き上げます。ですから、意志を持っているように見えること自体は、もはや人間の専売特許ではありません。

残るのは、意志の中身ではなく、その方向に自分の身を懸けることです。「私たちはこちらへ進む」と定め、その結果を当事者として引き受ける——この覚悟の部分こそが、人間にしか担えません。経営でいえばビジョンを描くこと、そして、そのビジョンに自分の名前と責任を結びつけることです。方向の選択肢をAIに何通りも出させることはできます。しかし、そのうちのどれに賭けるかを決め、背負うのは、いつまでも人間の仕事です。

 

■考察その2 ── 責任を取る

ふたつめは、「責任を取る」ことです。これは「方向を定める」と対になる仕事だと考えています。方向を定めることが入口で身を懸けることなら、責任を取ることは出口で結果を引き受けることだからです。

会計監査の仕事を長くしてきた者として、私はこの点に強い実感があります。監査意見にせよ、決算にせよ、最後に「これでよい」と署名するのは人間です。AIがどれほど精緻に分析しても、その判断の帰責先にはなれません。なぜなら、AIは責められても痛くないからです。罰せられても、信頼を失っても、何も失わない存在に、責任を負わせることはできません。

責任とは、突きつめれば「結果が自分に返ってくることを引き受ける」ことです。これはまさに当事者性そのものであり、有限な存在にしか成り立ちません。だからこそ、AIが実務を担うほどに、最終的に「私が引き受けます」と言える人間の価値は、下がるどころか上がっていきます。AIを使う時代の管理職や専門家の役割は、作業そのものよりも、「AIの仕事に責任を引き受ける」ことへと比重を移していくでしょう。

 

■考察その3 ── 創る・遊ぶ

みっつめは、「創る・遊ぶ」ことです。ここからは、有限性のもうひとつの枝、「時間と体」から立ち上がる仕事です。

創作や芸術、スポーツ、そして遊び。これらは一見、AIが最も得意としそうな領域に見えるかもしれません。実際、AIは絵も音楽も文章も生成します。しかし、ここで人間に残るのは「成果物」ではなく「経験」のほうです。

絵を描く時間、楽器に没頭する時間、体を動かして汗をかく時間——心理学者チクセントミハイが「フロー」と呼んだ、我を忘れる没入の経験は、時間をかけ、体を使うことでしか生まれません。その経験は、効率化の対象ではなく、それ自体が目的です。早く終わらせることに意味はなく、その時間を過ごすことそのものに意味があります。

私は、AIが定型業務を引き受けた先で、こうした「創る・遊ぶ」活動が、経済や生活の周辺から中心へと移っていくと考えています。生産性の論理では測れない、しかし人間を人間たらしめる営み。それは有限な時間を持つ私たちにしか味わえないものです。

 

■考察その4 ── ケアする

よっつめは、「ケアする」ことです。これも「時間と体」の枝から生まれます。

子育て、介護、教育、看護、そして日々の人間関係。これらに共通するのは、「ともにその場に居合わせること」が本質だという点です。ケアとは、誰かのそばに身を置き、時間を共有し、関わり続けることです。

ここで大切なのは、ケアは「効率化すべき作業」ではないということです。介護を半分の時間で終わらせても、それは「改善」とは言えません。子どもと過ごす時間を圧縮しても意味がありません。ケアにおいては、かけた時間と居合わせた身体そのものが価値なのです。AIは情報提供や事務面で支援はできますが、「そこに居る」ことはできません。体を持たないからです。

人間が人間同士で生きていくかぎり、支え合い、気にかけ合う営みはなくなりません。むしろAIが他の仕事を引き受けるほど、人間にとって「人に向き合う時間」の比重は高まっていくはずです。

 

■結び ── 4つは、永遠になくならない

ここまでの議論を、ひとつの図にまとめると、こうなります。

人間とAIを分けるのは「有限性」。有限性は「リセットできない(当事者性)」と「時間が有限(身体と時間)」の2つに枝分かれする。前者からは「方向を定める」「責任を取る」が、後者からは「創る・遊ぶ」「ケアする」が立ち上がる。

この4つには、共通する性質があります。いずれも、AIが「優れているかどうか」では決まらないということです。AIの能力がどれだけ上がっても、AIは有限性を持ちません。終わりがなく、体がなく、何も失わない。だから、有限性に根ざしたこの4つの仕事は、技術の進歩によって侵食されることがありません。冒頭で述べた「人間にしかできないことリスト」の脆さを、この4つは免れているのです。

そして何より、有限であるからこそ、人間はこれらの営みに価値を感じます。価値を感じる主体が私たち自身である以上、人間が人間同士で生きていくかぎり、この4つが「なくならない」と言い切れます。

実務家として最後にひとつ申し添えるなら、これは遠い未来の話ではありません。AIに任せられる仕事を任せたあと、自分の時間をどこに使うか——「方向を定める」「責任を取る」「創る・遊ぶ」「ケアする」のどれに重心を移していくか。それを意識的に選ぶことが、これからの一人ひとりの、そして組織の課題になります。AIに何をさせるかと同じくらい、AIに任せたあとで自分は何をするのかを、考え始めるべき時期に来ているのだと思います。