感想: BS1での放送を鑑賞。最初は途中で観るのをやめようかとも思ったが、「とりあえず半分までは」と見続け、結局最後まで見入ってしまった。非常に不思議な引力を持った映画である。 その引力の一端は、キャスティングの妙にある。魅力的なヒロインに加え、途中で登場するチャラい男性キャラクターを演じているのは、私が暇な大学生時代に全シーズンを夢中で観たドラマ『メンタリスト』の主演俳優(サイモン・ベイカー)だった。自分がかつて時間を費やし、親しみを持った俳優がスクリーンに登場するだけで、無条件に嬉しくなってしまう。これもまた、データではなく「個人の記憶と体験」に基づく映画の楽しみ方だ。

 

そして何より、この映画を観終わると「明日からちょっと頑張ろう」という活力が湧いてくる。理不尽な環境の中で、登場人物たちが皆、不器用なまでに必死に生きているからだろう。
私の厳格な評価基準では、「3回以上鑑賞し、なお熱量を維持できる作品」は満点(5.0)の対象となり得る。本作はすでに何回も観ており、間違いなく良い映画だ。しかし、今回あえて評価は4.5とした。「なんだか5.0はあげたくない」という、自分でもうまく説明できない感覚が働いたからだ。

 

AI時代への考察:AIが着られない「服」と、計算外の「なんだか」
本作の根底にあるのは、「服(ファッション)」という極めて物理的な要素だ。 当たり前だが、AIは服を着ることができない。装いを変えることで周囲の扱いが変わり、やがて主人公の内面すらも全く別のものへと劇的に変化していく。このプロセスは、AIには決して理解できない人間特有の「身体性」そのものである。
AIが普及し、あらゆるプロセスが効率化される社会において、本作で描かれるような「ヒールを履いて理不尽な上司のために街を奔走する」といった行為は、究極の非効率に見えるかもしれない。しかし、その泥臭く必死に生きる姿こそが、画面の前の人間に「明日も頑張ろう」と思わせる熱を帯びるのだ。

 

また、今回私が下した「条件は満たしているが、なんだか5.0はあげたくない」という決断も、AI的なアルゴリズム(3回以上視聴+好印象=5.0という論理)へのささやかな抵抗かもしれない。 「なんだか」という言語化できない違和感や直感。それこそが、数値化や最適化を前提とするAI社会において、人間が最後まで手放してはならない「人間らしさ」の証なのだろう。