感想:
中学生の頃、夢中になった参考図書の実写(アニメ)化作品。 青春時代の記憶と結びついた作品だが、原作と比較して「強調点のズレ」を感じざるを得ず、評価は3.5にとどまった。
原作で私が共鳴したのは、「世界には本来色などないのに、人々が勝手に色(善悪や意味)をつけたがる」という社会への違和感だった。
物事は本来ニュートラルであり、そこに無理やり意味を見出そうとする人間の性(さが)。 映画版はそこにある種の「分かりやすい感動」という色を塗ってしまい、ハートフルな良作には仕上がっているものの、私がかつて感じた鋭利な感覚とは異なっていた。
AIへの期待:物語の「パーソナライズ」と、あえて問わない贅沢
この「原作との解釈違い」という経験から、AI時代におけるエンタメの進化に一つの期待を抱いた。
LLMや動画生成AIの進化により、映像制作のコストは劇的に下がりつつある。 ならば将来、同じ『カラフル』という物語であっても、視聴者が求める強調点に合わせて「構成」を瞬時に組み替えることが可能になるのではないか。
「ハートフルな感動」を求める人には今の映画版を。「虚無と再生の哲学」を求める私のような人間には、より原作の鋭さを強調したバージョンを。 一つの物語から、三者三様の「最適解」としての映画が生成される。そんな未来はそう遠くないはずだ。
一方で、ふと「なぜこの作品は実写でなくアニメで描かれたのか?」という疑問が湧いた。 AIに問えば、過去の膨大なデータから「商業的な理由」や「演出上の意図」といった正解らしい答えを数秒で提示するだろう。 しかし、私はあえてAIには聞かないことにした。
AIに聞けば終わる問いを、あえて自分の中に留め、時間をかけて答えを探す。 以前『国宝』のレビューで触れたように、人間には「時間を引き受けた事実」にこそ価値を感じる側面があるからだ。 すぐに答えを出さず、ゆっくりと探索する余地を残すこと。それこそが、何でも答えが出るAI時代における、人間だけの贅沢な「精神力の使い方」なのかもしれない。
ふと、漫画アオアシの監督の名言、「自分で得た答えは忘れない」という言葉が浮かんだ。なんでも簡単にわかってしまうと自分の血肉にはならない。今後のAI時代に気を付けなければならない重要な点の一つであると確信した次第である。
